JR土飯線(仮称)
意外と知られていない、国お墨付きの建設計画。
関東平野を横断し、菖蒲と他都市を結ぶ…
1.概要
1922年(大正11年)、国が建設すべき鉄道路線を定めた「(改正)鉄道敷設法」が公布されました。具体の路線は同法の別表に記載されており、現実のものとなった路線には、川越線、八高線、吾妻線などがあります。
この別表の中に、以下の記載があります。
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四十三 茨城縣土浦ヨリ水海道、境、埼玉縣久喜、鴻巣、坂戸ヲ經テ飯能ニ至ル鐡道及水海道ヨリ分岐シテ佐貫ニ至ル鐡道竝境ヨリ分岐シテ古河ニ至ル鐡道
(出典)地理院タイルに線・図を追記
同路線に「菖蒲」の記載はありませんが、「久喜」と「鴻巣」に言及されており、東北本線(久喜駅)と高崎線(鴻巣駅)を短絡するように線路を引いたものと考えられることや、菖蒲が江戸時代以来の市場町であることを考えると、久喜と鴻巣の間では、菖蒲を通ったものと考えるのが自然でしょう。
鉄道敷設法は国に建設を強いるものではないため、建設されなかった路線も多々あります。残念ながら四十三号線も建設に至ることはなく、同法は国鉄分割民営化の1987年(昭和62年)に廃止となりましたが、戦前、武蔵野線が存在しなかった時代に、常磐線・東北本線・高崎線などの主要路線を短絡し、都心を通らずに東北方面と中部・関西方面を結ぶ路線が構想されたのは、画期的であったと言えるでしょう。
2.JR土飯線(仮称)が菖蒲を通っていた世界
※フィクションです
それでは、もし四十三号線が建設されていたら、どのような列車が走っていたか、また、菖蒲はどのようになっていたか、妄想してみたいと思います。
~土飯線と菖蒲町の歩み~
1922年の「(改正)鉄道敷設法」公布後、しばらく日の目を浴びずにいた四十三号線だが、東京の外側を連絡することが軍事上必要であるという話が沸き起こり、1934年に建設が始まった。土浦と飯能を結ぶことから、路線名称は土飯線(どはんせん)。
※史実では、東京の外側を連絡することが軍事上必要であるという話が沸き起こり(★)、1934年、鉄道敷設法別表に新たに五十ノ四「埼玉縣大宮ヨリ川越ヲ經テ飯能附近ニ至ル鐡道」が追加され、川越線が建設されました(1940年開業)。
★「大宮・飯能間ノ如キモ(中略)陸軍ノ人ノ御話ニ依ツテ、大東京ノ外ノ側ヲ連絡スルコトガ必要デアルト云フコトカラヤツタ」(第11回鉄道会議(1933年)での三土鉄道大臣発言)
久喜~鴻巣間は1937年に開業。菖蒲町内には菖蒲駅が設置され、1931年に廃止された見沼通船に代わる輸送手段となった。
※見沼通船が1931年に廃止されたのは史実です。
昭和時代の菖蒲駅(イメージ)
1939年、鴻巣~坂戸間が開業。既に開業していた坂戸~高麗川間及び八高線と繋がり、東北本線から土飯線・八高線を通り中央本線に直通する貨物列車が運行されるようになる。土飯線は単線であり、菖蒲駅では多くの貨物列車が行き違いを行う。
戦後、土飯線沿線も人口が増え、多くの通勤・通学客が利用するようになる。キハ35系気動車などが3~5両で約30分毎に運行され、車内がごった返す。八王子発勝田行などの長距離列車も運行される。
菖蒲町も東京のベッドタウンとして人口が増える。菖蒲駅は1976年に橋上駅舎化。新たに南口が開設され、南口駅前にはニュータウンが建設される。
(出典)国土地理院撮影の空中写真(1980年撮影:真壁)
1980年の菖蒲駅上空(イメージ)
茨城県内にある地磁気観測所の影響で、永らく非電化であったが、1996年に下総境以西が直流電化、生子以東が交流電化される。直流電車は高麗川~下総境間、交直流電車は鴻巣~土浦間を運行し、高麗川~土浦間を通して運行する列車が無くなる。
21世紀になると土飯線沿線の人口増加は鈍化。菖蒲町の人口も2万8千人で頭打ちとなる。菖蒲駅の利用者数も伸び悩むが、2008年、菖蒲町内に国道122号バイパスが開通し、大型ショッピングモールが開店する。また、工業団地も新たに造成され、ショッピングモールの買い物客や工業団地関係者で菖蒲駅の利用者は再び増加に転じる。
鉄道網と道路網に恵まれた菖蒲町は、「平成の大合併」期においても他自治体と合併することはなく、単独で町制を維持する。
菖蒲駅に停車中のE531系電車(イメージ)
~土飯線の概要~
下記、埋め込みの地理院地図から線路や駅の位置を確認できます。ぜひ操作してみてください。
起点 :土浦駅
終点 :高麗川駅
駅数 :24駅
路線距離 :102.3km
軌間 :1,067mm
線路数 :複線(下総境駅~塚崎信号場間)
単線(上記以外)
電化区間 :全線
電化方式 :交流20,000V 50Hz(土浦駅~生子駅間)
直流1,500V(下総境駅~高麗川駅間)
いずれも架空電車線方式
閉塞方式 :自動閉塞式
保安装置 :ATS-P
最高速度 :95km/h
交直流電車(E531系、5両編成)が土浦~鴻巣間、直流電車(209系・E231系、4両編成)が下総境~高麗川間に投入されている。
土浦~下総境間及び鴻巣~高麗川間は、日中は約30分毎、朝夕は約20分毎、下総境~鴻巣間は、日中は約15分毎、朝夕は約10分毎の運行である。交直流電車の一部は常磐線高萩まで、直流電車の半数は八高線八王子まで直通運転を行っている。全列車が各駅に停まる普通列車だが、以前は、宇都宮線大宮から土飯線経由で常磐線勝田までを結ぶ快速「ばんどう」が運行されていた。また、貨物列車については、福島臨海鉄道小名浜から信越本線安中まで鉱石輸送を行う通称「安中貨物」が、土浦~鴻巣間を走行している。
旅客流動は、おおよそ下総境と鴻巣で分かれており、全線を乗り通す者は少ない。下総境以東では、土浦さらに水戸方面へ通勤・通学、またはみどりのでつくばエクスプレスに乗り換え東京方面へ向かう者が多い。下総境~鴻巣間は通過人員が最も多く、久喜または鴻巣で他線へ乗り換え各方面へ向かう者が多い。鴻巣以西では、沿線住民が鴻巣または坂戸で乗り換え東京方面へ向かう他、埼玉県央地域と東京多摩地域間を移動する者が利用する。
~菖蒲駅の概要~
菖蒲駅南口(イメージ)
キロ程 :64.7km(土浦起点)
駅構造 :地上駅(橋上駅)
ホーム :2面3線
乗車人員:約5,000人/日
開業年 :1937年(昭和12年)
菖蒲町唯一の駅であり、同町中心市街地の最寄り駅である。北口は古くからの市街地に面し、久喜駅西口・桶川駅東口行の路線バスが発着する。南口は橋上駅舎化の際に新たに開設され、菖蒲町役場や菖蒲文化会館アミーゴの最寄り口であり、白岡駅・蓮田駅行の路線バスの他、モラージュ菖蒲とを結ぶシャトルバスが発着する。
菖蒲町民が他市への通勤・通学で利用する他、ショッピングモールの買い物客や、工業団地関係者も多く利用する。
単式ホーム1面1線と島式ホーム1面2線、計2面3線のホームを有する地上駅。単式ホームが北口寄り、島式ホームが南口寄りにある。1番線が上り(土浦方面)本線、2番線が下り(高麗川方面)本線、3番線が上下副本線である。3番線は一部の高麗川方面の列車が線路保守のために使用する。なお、3番線は土浦方面への発車も可能であるが、現在は営業列車での設定はない。
番線 |方向|行先
1 |上り|久喜・下総境・水海道・土浦方面
2・3|下り|鴻巣・坂戸・高麗川・八王子方面