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​歴史のロマンに浸ろう

縄文時代には人が住み始め、のち「水の都」として発展を遂げた菖蒲。
​長い年月をかけて、文化が育まれてきました。
​あなたの知らない埼玉の歴史を、とくとご覧あれ。

※菖蒲の歴史を、以下3分強の動画にまとめました。ぜひご覧になってから菖蒲に足をお運びください。

(動画が表示されない場合は、こちらからご視聴ください(youtubeに飛びます)。)

​菖蒲市街

​ 見沼代用水に沿うように広がる菖蒲市街。遅くとも1716年の頃には市街地が形成されており、地域経済の中心地として賑わってきました。

​ 1731年に見沼通船の運行が開始されてからは、人や物の水陸両用の中継地として発展。大正時代の頃には170の事業所が軒を連ね、菖蒲銀行という銀行や裁判所もあったそうです。

​ 現在は鉄道幹線から外れ、静かな時が流れていますが、戦前の建物も多く残り、水運で栄えた当時の面影をうかがうことができます。往時のノスタルジアに浸ってみてはいかがでしょうか。

🚌菖蒲神社前~菖蒲仲橋(久喜駅・桶川駅)周辺

​🚌仲町~菖蒲仲橋(白岡駅)周辺

≫併せて訪れたい

​見沼弁財天【歴史】、本多静六記念館【歴史】

八間堰(はっけんぜき)、
十六間堰(じゅうろっけんぜき)、
見沼弁財天、
世界かんがい施設遺産登録記念碑

 見沼代用水は、行田から菖蒲までは星川の流路を利用し、菖蒲において星川から分かれ、さいたま市の見沼田んぼに到達します。分流地点には堰が置かれ、星川下流側を十六間堰、見沼代用水下流側を八間堰と呼びます。

​ 十六間堰のほとりには見沼弁財天があります。見沼代用水を建設した紀州藩士・井澤弥惣兵衛為永(いざわやそべえためなが)は、沿岸要所に弁財天社を迎え、水路の平安と豊作を祈願したそうです。

 また、見沼代用水は2019年に「世界かんがい施設遺産」に登録され、見沼弁財天の近くに記念碑が立っています。

​ 菖蒲に堰が置かれ、見沼代用水が完成してから約300年。ごうごうと鳴る水の音を聞きながら、その歴史に思いを馳せてはいかがでしょうか。

​(参考)見沼代用水土地改良区ホームページ『見沼代用水を知る|見沼代用水土地改良区

​🚌菖蒲仲橋(久喜駅・桶川駅・白岡駅)から徒歩10分

≫併せて訪れたい

菖蒲市街【歴史】、本多静六記念館【歴史】

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菖蒲晩秋.jpg
八間堰・十六間堰.jpg
灌漑遺産記念碑_桜.jpg

​菖蒲図書館

 菖蒲文化会館(アミーゴ)1階に菖蒲図書館があります。一般的な図書に加え、菖蒲の歴史を知ることができる貴重な資料が盛りだくさん。市外の方も閲覧可能なので、ぜひ手に取ってみてください。

​(参考)菖蒲文化会館ホームページ『菖蒲文化会館|久喜市文化施設

​🏠久喜市菖蒲町菖蒲85-1

📅休館日:第2水曜日ほか

🚌菖蒲仲橋(久喜駅・桶川駅・白岡駅)から徒歩10分

🅿あり

≫併せて訪れたい

菖蒲市街【歴史】、本多静六記念館【歴史】

古笊田堰(こざるたせき)

​ 久喜地区と菖蒲町を隔てる備前堀川の中流に古笊田堰があります。農業用水の取水堰で、竣工は1909年。100年以上にわたって備前堀川と付近の田畑を見守ってきました。

 現存する県内最大規模のレンガ造りの堰であり、土木学会の「日本の近代土木遺産」に選定されています。

​🚌大久保(久喜駅)から徒歩6分

柴山伏越(しばやまふせこし)【白岡市】

 見沼代用水は菖蒲を下った後、白岡市柴山地区で元荒川をアンダーパスします。この機構を「伏越」と言いますが、柴山伏越は見沼代用水ができた当初からあり、当時の技術力の高さに驚きます。

​ 柴山伏越の近くには、見沼代用水を建設した為永の墓(分骨)がある他、かつて河岸場だったと思われる橋戸地区があります。菖蒲と同様に、治水と水運の歴史を訪ねてみてください。

​(参考)見沼代用水土地改良区ホームページ『見沼代用水を知る|見沼代用水土地改良区

🚌大平橋(蓮田駅)から徒歩5分

≫併せて訪れたい
​見沼代用水の桜並木【花】

​本多静六記念館

 河原井村(現菖蒲町河原井)出身で、日本の公園の父と呼ばれる本多静六博士。日本初の林学博士号を取得し、日比谷公園・大宮公園をはじめ全国に数多くの公園を設計しました。

 博士の業績や哲学を、直筆の資料や遺品と共に学ぶことができます。

​(参考)久喜市ホームページ『市内の博士関係施設(本多静六記念館ほか):久喜市ホームページ

🏠久喜市菖蒲町新堀38(菖蒲総合支所庁舎内)

​📅休館日:土曜日・祝日(日曜日の場合は開館し、翌日休館)

​🚌菖蒲仲橋(久喜駅・桶川駅・白岡駅)から徒歩10分

🚌城址あやめ園(桶川駅)から徒歩10分

🅿あり

≫併せて訪れたい

​菖蒲市街【歴史】、見沼弁財天【歴史】、しょうぶの梨100年記念園【歴史】

本多静六博士生誕地記念園

​ 国道122号旧道沿い、道のオアシス菖蒲の中に本多博士を讃える記念園があります。博士の胸像の他、「この首にかけても移植を成功してみせる」と博士が誓った逸話で知られる、日比谷公園の「首かけ銀杏」の分木が植えられています。

(参考)久喜市ホームページ『市内の博士関係施設(本多静六記念館ほか):久喜市ホームページ

​🚌台(白岡駅)からすぐ

🅿あり

しょうぶの梨100年記念園

​ 久喜市周辺は梨の特産地ですが、この地に梨の栽培方法を広めたのは、台村(現菖蒲町台)出身の五十嵐八五郎です。

 その功績を讃え整備された「しょうぶの梨100年記念園」。​園内には​梨園の他、菖蒲の梨の歴史を記した石碑が建てられています。

​🚌野々宮(桶川駅)から徒歩15分

≫併せて訪れたい

​見沼代用水の桜並木【花】

​菖蒲城址あやめ園

​ 1456年、古河公方足利成氏(しげうじ)の家臣、金田則綱により築城された菖蒲城。5月5日の菖蒲の節句に完成したことからその名が付いたとも言われています。当時は享徳の乱の最中で、上杉氏と対峙する前衛基地として機能しました。

 その後、小田原北条氏が関東で勢力を拡大させると、菖蒲城主金田氏はその傘下に入り、1590年に北条氏が豊臣秀吉の小田原征伐を受けると、菖蒲城は廃城となりました。

 現在、城の跡形はありませんが、その名と威光を伝えんとばかりに、毎年初夏に花菖蒲が咲き誇ります。

※現在、連作障害からの回復等のため、株数が減少しています。

🏠久喜市菖蒲町新堀985-2

​🚌城址あやめ園(桶川駅)からすぐ

🅿あり

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​小林神社と水ささら

​ 菖蒲町小林にある小林(おばやし)神社。1913年に周囲18社が合祀され創建された、緑豊かな神社です。

 毎年4月に獅子舞「水ささら」が奉納されます。江戸時代の大洪水の際、獅子頭を納めた箱が上流から流れ着き、村人が舞い方を覚えたのがきっかけであるとか。現在は、小林小学校の児童を交えた地元の人々が保存と継承に取り組んでいます。

​🚌野々宮(桶川駅)から徒歩15分

天王山塚古墳

​ 菖蒲町内にもいくつか古墳がありますが、中でも大きいのが栢間にある埼玉県指定史跡・天王山塚古墳です。全長は107mあり、県内でも屈指の規模を誇ります。

​ 古墳時代後期の築造と考えられ、付近からは埴輪の破片が出土。塚の上には群馬県の榛名山から運んできたとされる角閃石安山岩(かくせんせきあんざんがん)が点在し、この地に大豪族がいたと考えられています。​

🚌下栢間(桶川駅)から徒歩8分

🅿あり(徒歩3分)

≫併せて訪れたい
神明神社【緑】、内藤陣屋跡【歴史】、善宗寺【歴史】

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内藤陣屋跡、善宗寺

 弓・槍の名手で、徳川十六神将の一人である内藤正成。正成を初代とする旗本・内藤家は栢間に陣屋を置き、幕末まで菖蒲領5か村を治めました。​現在、陣屋の大部分は栢間小学校の敷地となっており、菖蒲城址あやめ園には、移築された陣屋の裏門が建っています。

 栢間小学校のそばにある善宗寺が内藤家の菩提寺です。境内には、正成以来の歴代当主とその夫人を供養する宝篋印塔(ほうきょういんとう)22基が立ち並んでいます。

🚌下栢間(桶川駅)から徒歩3分

≫併せて訪れたい
神明神社【緑】、天王山塚古墳【歴史】

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​備前堤、綾瀬川起点碑【桶川市】

 現在、荒川は秩父を流れ出た後、大宮台地の西側を通り東京湾へと注ぎますが、かつては大宮台地の東側、現在の菖蒲町と桶川市の間(現元荒川)を通っていました。

 慶長年間(1610年頃)、下流の新田開発などを目的とし、伊奈備前守忠次(いなびぜんのかみただつぐ)により備前堤が築造され、綾瀬川が荒川(現元荒川)から切り離されました。さらに1629年には、現在の熊谷市で流路を変え、大宮台地の西側へ流れるようにしました。

​ 元荒川と綾瀬川は、かつて荒川だったのです。現在、備前堤の周りは道路や藪となっており、はっきりその姿を確認することはできませんが、埼玉の治水の歴史を感じてみてください。

​🚌五丁台(桶川駅)から徒歩20分

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